
毎日新聞社主催、第52回毎日農業記録賞に応募して入選に選ばれましたので、ここにその投稿をシェアしてお知らせさせていただきます。
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第52回毎日農業記録賞 入選作品「ピィパーズをメジャーに」
2007年7月勤続35年4ヶ月の農業団体をめでたく定年退職しました。セカンドライフは趣味の三線を子供達に教え、のんびりと野菜づくりでも楽しもうと考えました。
自宅から80㎞離れた郷里本部町には親から譲り受けた僅かばかりの土地があるので週一1泊2日の農場通いを始めました。永年使用されず荒れた土地であったので全く未開拓の土地を開墾するような思いでした。
かつて畜舎として使っていた建物に内装を施しそこを管理舎として整備しました。このように始めた野菜づくりは60代の10年間続くことになりましたが、その販売額は那覇からの通農にかかる車輌費の半分しか補えない状況でした。
当初は三線教室を併設しその月謝収入でマイナス分を補うこと出来ました。しかし弟子の殆どが高齢者であったため長続きせず、月謝収入が途絶えて完全に赤字状態になりました。
ピィパーズとの巡り会い
35歳のとき石垣島の八重山支店勤務を終え那覇市の本所に配置替えになりました。その直後那覇市内に新古住宅を購入することが出来ました。
元の持ち主は八重山出身の方で家の後壁際にピィパーズが植えられていました。八重山の光景を彷彿とさせることもあって、現役時代は手をかけず伸びるに任せて壁を這わせました。それが還暦を迎える頃には二階屋上にも達し、匍匐茎を伸ばし家の前面までも覆う程になっていました。
定年退職から程なくして八重山出身者らによるピィパーズの普及活動が行なわれていることを知りました。知人である代表者に誘われピィパーズを生かす会の総会にオブザーバーとして出席しました。そして八重山では知らぬ者はいないが沖縄本島では殆ど知られていないということを知らされました。そこで「ピィパーズをマイナーからメジャーへ」という彼らの思いに触れその場で入会しました。
ピィパーズとは琉球王国由来の在来長コショウのことで、明治12年の廃藩置県の後植物学者牧野富太郎氏らによって和名をヒハツモドキと命名されました。
ピィパーズを生かす会の普及活動
会のメンバーは私を除いてほぼ全員八重山出身者でした。苗づくり講習会はじめ植え付け隊と称して人目につく公共の場所への植栽活動などにも積極的に参加しました。本部町でも自分の農場はもちろん県道沿いの法面への植栽も行ないました。
そして郷里でも普及を図ろうと本部町普及会を結成し活動しました。その足跡として国道沿いで140mの浄化センター外壁を見事なピィパーズ壁面緑化を果たしています。
ピィパーズを生かす会は2019年沖縄銀行振興基金による助成事業を取得しました。その中でモデル農場設置費用を確保し、本部りーじ農園に丸太支柱栽培設備を設置しました。この圃場はその後もピィパーズ栽培モデル農場として多くの方が見学に訪れています。
健康食品として着目
一方、食品としてはこの活動を始めるまで私自身日常的に消費することは殆どありませんでした。実を収穫して乾燥しコショウとして使うまでの過程が難しく面倒でしたが、健康面で優れた効用があると分かったことで面倒な手間も楽しみに変わり自家製のコショウとして毎日常食するようになりました。
2016年あるTV番組において大阪大学高橋伸幸教授らの医学者からゴースト血管の出現が様々な健康害をもたらすことが明かされました。その予防法の一つとしてヒハツの摂取が取り上げられました。
そのヒハツとは紛れもなく私達が普及に取り組んでいるピィパーズに他なりません。その放映の後、アルバムをめくっていると孫を抱いている私の写真を見て妻が驚きました。左頬にあった鮮やかなシミが今は無いというのだ。その時これはピィパーズを常食にしたことによりゴースト血管の改善をみたのだろうと実感しました。
その他にも自分自身が処方薬に頼らない健康生活を続けていることが論よりの証拠だと考えています。
県ピィパーズ生産推進協議会
2020年9月ピィパーズを生かす会は当初の目標であった知名度向上に一定の成果が得られたとして発展的解消し14年間の活動に幕を下ろしました。同年11月新たに沖縄県ピィパーズ生産推進協議会(沖ピ協)を設立し初代会長の任に就きました。
意気揚々と新組織を漕ぎ出したのも束の間、新型コロナウイルスの出現で全ての対面活動が制限されました。その中で感染防止を施しながら料理講習会や農場見学会などを実施し普及に努めました。
壁面緑化資材としても役立つピィパーズは那覇市と浦添市が公共壁面の緑化に取り組みました。沖ピ協の活動としてこれらの事例を成功に導くためその植栽の管理をボランティアで継続的に実施しています。
会長の任期中にローカルテレビへの出演を4回、地元新聞の話題記事にも4回登場するなどピィパーズ知名度向上へのPRにも努めました。
6次産業化をめざして
古稀を迎えた頃になると農作業体系を見直し、従来の野菜栽培中心からピィパーズ専門化へと転換しました。
収穫したピィパーズ実を食品加工所に売るという原料販売主体で、同所からはプライベートブランド「「本部ピィパーズ」として逆仕入れをして商品販売に取り組みました。販売先は通農ルートを中心に道の駅、産直市場、海洋博記念公園内ショップ等です。
2022年にはそれ迄の原料販売方式を見直し委託製造方式に改め、製品を全量自ら販売することにしました。そして販売力を強化するためインターネットの活用に取り組みました。
ホームページを開設し、併せてSNSを活用し情報発信にも取り組んでいます。
HPによる直接販売は期待通りには行きませんが問い合わせ件数は徐々に増えているようです。その波及は様々な効果を生んでいて、今日ピィパーズ入りのソーセージ、スープ、パン等の商品開発が進行中です。
生産拡大に欠かせないのは苗づくりです。国内には雄株が存在しないことから増殖は挿し木方式に限られます。通農コースに育苗ハウスを運営する仲間が居り、彼との分業提携を交わすことで苗供給体制を構築しました。
2023年1月には那覇市の中心街で建築不可な遊休地60坪余を借り受けピィパーズ園を開設、2年目の今期から収穫が始まりました。目指すは全国区マイナーからメジャーへと漕ぎ出したピィパーズ普及活動はモドキ返上の運動でもあります。沖縄語ゴーヤーが全国的知名度を得たことに肖りピィパーズも続けと目指していきます。
沖ピ協の仲間と共に安心安全な沖縄県産100%ピィパーズを全国民に届けていきたい。
(終わり)